17個のポーチを数えた日のこと

先週末、引き出しの整理をしていたら奥から付録のポーチが出てきた。「あったんだ」と思ってしまった時点で、私はそのポーチを忘れていたということになる。引き出しの中を全部出したら、ポーチだけで17個あった。

全部ちゃんと覚えているかというと、半分くらいしか思い出せなかった。「これどこの付録だっけ」というポーチが7〜8個ある。かわいかったから買ったはずなのに、どこの何かも覚えていない。それはちょっと寂しかった。

17個の内訳(うろ覚え)

毎日使っているもの:3個 財布代わり、イヤホン入れ、化粧品入れ

✓ 月に1〜2回使うもの:4個 旅行用、サブポーチ各種

✓ 「いつか使う」と思っているもの:5個 引き出しの中層

存在を忘れていたもの:5個 引き出しの底から発掘

可視化したら、さすがに「もういいかな」という気持ちになった。ちょっと反省した。整理整頓もした。今後は抑制的に生きよう、と思った。それが先週の話だ。

そして今日、また買った

書店に立ち寄ったのは別の用事があったからだ。本を一冊買うつもりで入った。ただそれだけだった。

そうしたら棚に、見たことのないデザインのポーチが付いた雑誌があった。くすみがかったグリーンで、内側がチェック柄になっていて、サイズ感がちょうどよかった。縫製もしっかりしていた。

🧠 そのときの頭の中

買う0.3秒前

「ポーチ、もう17個ある」→「でもこのグリーン、今持ってないな」→「内側のチェック柄が他と違う」→「縫製がしっかりしてる」→「今回のは違うかもしれない」→購入。所要時間、約45秒。

「今回のは違う」。これが17回目だ。でも毎回、そう思っている瞬間は本気だ。嘘をついているわけじゃない。本当に「今回のは違う」と感じている。それが問題なのかもしれない。

「今回のは違う」の正体

帰りの電車で、なぜ毎回「今回のは違う」と思えるのかを考えた。

たぶん、付録のポーチは本当に毎回少しずつ違うんだと思う。色、サイズ、素材、内側の仕上げ、ファスナーの向き。完全に同じポーチはない。だから「今回のは違う」は技術的には正しい。問題は、その違いが「所持数17個」を超える理由になるかどうかで、だいたいならない。

でも「ならない」とわかっていても買ってしまうのは、ポーチを買うという行為自体がもう習慣になっているからじゃないかと思う。書店に入る、付録を見る、かわいければ買う。この動線が体に染み付いている。もはや考えていない。

「今回のは違う」は毎回本気の言葉だ。でも18個目になったとき、17個目と何が違うかは説明できない。

反省はするけど、やめるつもりはない

正直に言う。また買うと思う。来月も、再来月も。「もう十分ある」と思いながら、「でも今回のは違う」と思いながら、また手が伸びると思う。

唯一心がけていることがあるとすれば、「使っていないものを誰かにあげる」ことだ。引き出しに眠らせているポーチを友人に渡すと、「かわいい!」と言ってくれる。それが、買い続けることの罪悪感を少し和らげてくれている。一種の循環だと思うことにしている。

今日買ったグリーンのポーチは、今のところ毎日使っている。縫製がしっかりしていて、サイズ感も本当によかった。やっぱり今回のは違った、と思っている。18回目の正直な感想です。