最初は全部が「かわいい」だった

付録を意識的に集め始めた頃のことを思い出すと、本当に何でも良く見えていた。付録が付いているというだけで特別な気持ちになって、開封するだけで嬉しかった。クオリティとか実用性とか、そういう尺度がそもそもなかった。

そのときの感覚は今でも悪くなかったと思う。余計なことを考えずに「かわいい」だけで完結できていた。あれはあれで、純粋に楽しかった。

買い始めたころ

「かわいい」しかなかった

付録が付いているだけで嬉しい。色も形もサイズも、全部プラスに見えた。「微妙」という感想が存在しなかった。

数十冊買った今

「微妙だな」が言えるようになった

素材の質感、縫製の雑さ、サイズの中途半端さ——気になるポイントが見えるようになった。それは成長なのか、面倒になったのか。

「微妙」と思い始めた最初の記憶

転換点はたぶん、2回目に同じブランドの付録を手にしたときだ。前回のが良すぎた。素材が厚くて、縫製がきれいで、デザインも文句なしだった。それと比べてしまった。

💭 あのときの感覚

「前回より薄くない?」と思った瞬間

同じブランドの、2号連続でポーチが付いてきた。2冊目を開けたとき、明らかに素材が薄かった。縫い目も少し雑だった。「前回の方がよかったな」と思った。それが初めての「微妙」だったと思う。比較対象ができた瞬間が、評価の始まりだった。

それ以来、少しずつ「基準」みたいなものが育っていった。素材の厚み、ファスナーの動き、内側の仕上げ、ブランドロゴの印刷の精度。そういうところに自然と目がいくようになった。

「微妙」と言えることが、愛の証明だと思うようにした

最初は「微妙」と思う自分が嫌だった。せっかくの付録なのに、素直に喜べない自分。文句ばかり言ってる感じがして、「もっと純粋に楽しめよ」と思っていた。

でもある時期から、考え方が変わった。「微妙」と言えるのは、「良いもの」を知っているからだ。基準がなければ、何が微妙かも判断できない。「微妙」という感想は、付録を真剣に見てきた証拠なんだと思うようにした。

「微妙だった」と言える月があるから、「これは本当に良かった」という月が輝く。全部が良かったら、本当に良いものがわからなくなる。

目が肥えても、「かわいい」は消えない

一つ言っておくと、「微妙」と言えるようになっても、「かわいい」という感情はなくなっていない。むしろ「本当にいい付録」に出会ったときの感動は、以前よりずっと大きくなった。

先月のことだけど、素材感も縫製もデザインも全部揃った付録があって、思わず開封しながら「これすごい」と声に出た。誰もいない部屋で一人で言った。それは最初の頃の「かわいい」と同じ感情だけど、もう少し情報量が多い「かわいい」だった。

「微妙」と「かわいい」が両立できるようになったのは、付録との付き合いが長くなった証だと思う。今月も、「微妙」か「かわいい」か、開けてみないとわからない。それが楽しいから、毎月買い続けている。