「限定」という言葉の構造
「限定」が効くのは、「手に入らなくなる」という恐怖を刺激するからだ。これは別に付録に限った話じゃなくて、人間が「希少なものを欲しがる」という本能的な傾向の話で、マーケティングの教科書に書いてあることでもある。
でもわかっていても止まらないのが、「限定」の本当にずるいところだ。「これ限定か……まあ罠だよな」と頭では思いながら、手は「とりあえず書店の場所を調べる」という動きをしている。頭と手がバラバラに動いている。
並べてみると、全部「なくなる」という方向の言葉だ。ポジティブな価値より、「手に入らなくなる」という損失への恐れを刺激している。これは「損失回避」と呼ばれる心理傾向で、人は「得ること」より「失わないこと」の方に強く動かされる。理屈はわかる。それでも動く。
「限定」で買って、後悔した記憶
「今日が最終日」で買ったもの
「本日最終入荷」という帯を見て買った付録がある。帰ってから開けたら、思ったほどでもなかった。「限定じゃなければ買わなかったな」と正直思った。ただそのポーチは今でも引き出しに入っていて、たまに使っている。好きじゃないかというとそうでもない。難しい。
後悔した記憶があるから次は冷静でいられるかというと、そんなことはない。次の「限定」を見た瞬間にはまた心拍数が上がっている。学習しない、ということではなくて、「理解する」ことと「動かされる」ことは別のことだ、と思うようにしている。
「限定に踊らされている」ことを許すことにした
あるとき「なぜ自分は限定に弱いんだろう」と真剣に考えていたら、「別にいいんじゃないか」という結論になった。
限定品を買うとき、私は少し興奮している。「手に入れた」という小さな達成感がある。その体験自体が、数百円から千円ちょっとで買えているわけで、それはわりと安い興奮だ、と思うようにした。
限定に踊らされていることは、自覚した上で許容している。完全に冷静なままで付録を集めたって、あんまり楽しくないと思う。「ちょっとバカっぽい興奮の仕方」が付録の楽しさの一部だ。
「限定」という言葉に踊らされているのは知っている。でも踊っているとき、楽しいのも本当だ。
「限定」への反応速度が上がっていく問題
一つだけ懸念がある。「限定」への反応が、年々速くなっている気がすることだ。最初は「限定か……どうしようかな」と少し考えていた。今は「限定」を見た瞬間には既に書店の営業時間を調べている。
これが進むと「限定」という文字を見た瞬間に財布を開いている未来が来るんじゃないかと、ちょっと心配している。今のところ大丈夫だけど。
今日もSNSに「数量限定」という文字が流れてきた。心拍数が上がった。書店の場所を調べた。行くかどうかはまだ決めていない。あと5分後には決まっていると思う。
